涙の海を泳ぐ

記録、日記。自分のため

愛へ

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思えば春が来て、夏、秋、冬、冬を越えて春、夏と季節を6回共にしただけの仲なんだけど。

 

 

公演準備中の仲間たちがビデオ通話をしてくれたあと、そのまま午前5時に航空券とホテルを取った。北京に来てから眠るという行為がわたしにとって少しづつ難しくなっていることもあって、空が明るくなりだしたのを目の裏で感じながら、名前もわからない鳥の鳴き声を耳にしながら、ブリキの馬が垣根を67回越えたところで、やっと眠りに落ちた。

後悔したくなかった。

 

知らなかったことが沢山あることを知らなかった。 何百回も通った駒小までの道のりを、初めての顔をしたわたしと友達が、記憶と思い出をなぞるように進んだ。こたてと立て看板とひさしがこんなに華々しく「お客様」の心を鷲掴みにすることを知らなかった。同期と後輩が心の全てをかけて作り出した空間まで誘われて、ホール内に足を踏み入れる、その一連の流れがこんなにも尊く、何にも代え難いものであることを知らなかった。

 

劇を見る前、見た後、取るに足らない些細なこと、色々思い出した。

小屋入り中、人見知りだし、口下手だから、あんまり自分から話しかけたりしないけど、優しい18がなんでも聞いてくれるから、それに甘えて、聞いて聞いてとなんでも話しかけてたこと。「うんなに?」と返してくれる声のトーン。大好きで、返答とかもうよくて、これを聞くためだけに色々話しかけてたこと。

18:30、13:30。さきちゃんが開場するあの瞬間、薄暗いホール内から光が見えて、お客様の姿が見えて、お待たせいたしました、あの瞬間の胸の高鳴り。

ロビーを通る眠そうな同期の顔を見て頑張ろうと思っていたこと。

帰っていく同期を見送るとき毎日寂しかったこと。

ばいばいした3秒後、もう会いたかったこと。

 

 

どんな些細なことも全て大切だった。

 

 

さきちゃんと、離れていた時間を埋めるように沢山沢山話した。長い針が4周する間、あれもあれもと思い出を拾い集めるみたいに話した。さきちゃんが泣きながら「わたしのオアシスみたいな人」と言うから、わたしも泣きながら、「駒小から出なきゃ」と一緒に笑いあった。

さきちゃんとわたしは、ロビー番を交代するとき、新公から毎回必ず、ロビーに相手に向けた手紙を残していた。ぽつりと、もう今はやってないけど、と前置きしてから、それを美音だと思って、今回全部持って小屋入りしたの。と教えてくれた。わたしも全部持って北京に発ったこと、辛いとき苦しいとき読み返してること、言えなかった。声がでなかった。

 

 

引退してから全部忘れてしまったと照れ隠しで言ったけど、どんな些細な思い出も、全部覚えてる。さきちゃんと一緒だったから。

 

 

 

この一週間、みんなのことばかり考えていた。体調が悪いと聞けば、いまも辛いのか、苦しいのか、この瞬間もしんどいのか、それだけで頭がいっぱいになってしまって他のことが手につかなかった。ちゃんとご飯食べたと聞いただけで安心したし、送られてくる楽しいエピソードひとつひとつ、心の底で暖かく光る。ずっと。

18のみんな、わたしは現役の頃から最後まで、何の役にも立てない人だったけど、みんなからあまりにも沢山のものをもらいすぎていたように思うよ。みんなのために、わたしができること、一つ残らず全部、もっともっとしてあげたかった。

 

季節が6回過ぎる間、愛が育っていたんだな。

 

 

 

 冬公、悔いなく楽しくやり切れたかな。

現役引退、本当におめでとう。